手挽き蕎麦おしながき(春)
重要:お蕎麦は打ちたてをお出ししていますので、都合により新たに打たなくてはならない場合は約20分ほどお時間をいただいております。何卒ご了承願います。
- おすすめ天ざる
- :2,350円(税込)
- 天ぷら4点(元天ぷら屋です / 野菜のみ可)
直後の蕎麦湯付き
- そばがき付き天ざる
- :2,980円(税込)
- セイロのみ温かい可
- :1,300円(税込)
- そばがき 粗挽き粉
- :800円(税込)
- お好み大作戦
- :2,980円(税込)
- 先鋒:そばがき、中堅:天ぷら、大将戦:セイロ
地元産 足柄茶を使っております。
酒類のご注文には酥(日本のチーズ)の御通しが付いています。
一品ものは多種になると対応が難しく、二品までか見立て献立のご検討をお願いします。

お泊りの夕食に
- 天ざるとお煮しめ
- :2,980円(税込)
- 代引皿(酒の肴又は菓子類)
見立て料理(旅籠記 小田原宿より)
昔の旅籠食をテーマに一汁三菜食事付き(3,950円/税込)

- 汁椀
- 煮貫という味噌汁の上澄み
- 料理ナマス
- 季節の魚介や野菜を下ごしらえして盛り、旨味酢を回し掛けたもの
- 門前焼
- 室町時代の代表的な焼物。味噌だれに漬けた魚を杉板に挟んで焼く
- 煮染
- 関東炊きで保存に向けて濃い味に仕上げてある
以上が丸盆(小田原北条盆)
食事(天ぷら、冷たいかけ蕎麦)が付きます
当店の感染対策について
当店では引き続き「マスクの着用」「手指消毒」「遮へい板」「強力な換気」「一組(1テーブル)4人または同居家族、2時間を目安」を行っていますのでご来店の際にはご協力をお願いします。特に換気には力を入れています。
三菱電機納入事例
店主より一言
令和3年、おかげさまをもちまして「米橋」は創業50年という大きな節目を迎えることができました。世の中が大きく変化する中、それでも半世紀もの長い間営業を続けてこれたのは、ひとえに長年に渡りご愛顧いただいたお客様の温かいご支援の賜物と感謝しています。
「米橋」は、スタンド天ぷら店として近くのビルの地下8席のお店からスタートし、実直に職人路線を貫いてまいりました。
ここ30年は小田原の歴史を献立に組み込んだ「見立献立」という自慢のお値打ち献立を中心に、1組8名様からのご予約を1週間前のお申し付けで承っております。
多くの料理店が単に魚を一刀に惣菜にこしらえるのを立場(つけば)料理といいますが、当店の「見立献立」は昔あった、今でもあるという文献による綿密な裏付けや伝承による数々を味わいながら、深い知識もいただくことができるものです。
およそ6-8種のコースがあり、相模国小田原城城主の大森氏から明治の近代洋食を広めた村井弦斎までテーマを時代順に取り揃えております。
この献立・物語シリーズは、新たにこしらえては適宜お店の催事として実施しております。
s 案内をご希望の方は、宛先を募っております。
そんな大げさな注文は気がひけるという方には、見立て献立(3,950円/税込)をお勧めします。
旅籠を紐解いた一汁三品です。
お城見学や東海道ハイキングの折にぴったりかと存じます。
より内容濃く仕上げられますので1時間以上前のご予約をお勧めします。
北条三代 氏康の頃
永禄元年(1957年)に氏康が自宅に鎌倉将軍足利義氏を招いての催しです。 このことを御成といいます。
当時としては超豪華な献立であったと思われます。 身近な食材と稚拙な調味料で格上のハレ食に仕上げるのですから、飾りや盛り付けの演出が凄いのです。
コーディネイトする係がいて、それを包丁人といいます。
演技の分派があって、大別して公家系と武士系に分かれています。 卓の配置から細かく指示して、料理人は大した存在ではなかったといいます。
飾りとは、骨付き鶏ももをとると手元にアルミホイルや紙をまくように、その紙は色紙や金銀だったり、ひらひらと垂らしてあるのです。 これを亀足(きっそく)といいます。
甲立(こうだ)てというのは、塩辛にほこりが入らないようにと周囲に折り紙を立てること。
板を亀甲型に切って、これにも色塗りしてこの上に盛り付けます。これの亀甲五種とかは名だたる大名の記録に見られます。
思えば頼朝があえて京都から遠く離れた鎌倉に幕府を開いて、武士は質実剛健であるべきと謳ったのに、300年経つとすっかり都の華美へ向かっているのです。
室町将軍との付き合いが増えるにつれて、接遇重視になったのでしょうか。
これは式三献七五三膳という式正料理では代表的な形式です。
まず、宴席の前に寝殿とかの上席の間で、包丁式の鯉を盛った3台があります。 それぞれの鯉は喰べずに、手前に3枚重ねの素焼きの盃に冷酒をいただきます。
一台に3枚ですから計9回です。 これが三三九度です。
素焼きの盃はこの一度しか使いません。 したがって簡素な焼きものですが、当北条家だけは柄付きでちょっとうるさかったそうです。
式三献のあいだ沢山の贈答品の渡しがあって、馬から弓矢の武具、油や麦粉に造花まで幅広い。
それぞれに提供者の名が記してあって、家臣の誰々と名前がきちっと記してあります。 戦のための一致団結を誓うのですから、式三献の儀は重要な意味がありました。
それが済むと広間に移り七五三膳となります。 本膳は七品で右手前には蒲鉾があります。 これは古代都での公家の席でも同じです。
けれどもこの形がどんなだったかの表現がないのです。文字だけです。 郡書類従という資料書の中に、絵で厚めの四方体があるのです。
それは今でも関西の人が好む角焼きという板状蒲鉾です。 これを根拠に、この絵は公家のですから、こっちは野趣味に竹軸にして、つまりちくわ状にしているのです。
本膳には、湯漬けという茶漬けがあり、ナマス、塩辛、鯛の焼き物もほぼ定番です。 ここで先に食事をしてしまいます。
二の膳の5品から酒席に入ります。 ですから汁物は吸い物風になります。 三の膳も肴類の3品です。
主客クラスはこの後も七の膳まであります。
お供の方々には五の膳まであり、さらに次の間にいる場合はさらに減らして、庭先にいる人には紅白まんじゅうだけとかになります。
品数が変わるだけで、品目は同じにしてあるから全員同じものなのです。 これを共食(きょうしょく)といって戦国時代の特徴的な形態です。
- ① 湯漬(ゆづけ)
- ささげ豆で炊いた赤色ごはん。煎茶を掛けていただく。
足利将軍をはじめとする武士の間で湯漬が流行っていた。
- ② 集汁(あつめじる)
- 二の膳にあった。
竹麦魚(ほうぼうの当て字)の身のつみれ、里芋、筍の味噌汁仕立て。
- ③ 料理膾(なます)
- 蕪ともずくを枕に、鰹、鱧、海老を。金柑みつ煮、レモン片、香菜を添えて三杯酢を回し入れる。
- ④ 鯛煮付鉄火焼 煮付けてから焼く
- 五斎煮は焼いてから煮た。
調味料が進歩したので煮付けて味をしっかり付けてから炙る方が勝る。
- ⑤ 鹿煮(しかに)
- 400年前の古典書に複数ある中の一つ。
3尺(約90cm)までをめじかといった。鮪の幼魚のめじのことである。長い間腹身は脂が多いので下魚だった。そこでアラとともに葱や玉葱と煮付けた。
やがて江戸河岸へ伝わり、後の角煮へ変わってゆく。
- ⑥ 熟(な)しもの
- 塩辛のこと。多くの種類があった。これはさざえ。黒いのは肝の他、海苔を加えてあるため。
- ⑦ 出陣皿 ”打ち 勝って 嬉ぶ”
- 左上:打ち鮑 かんぴょうにレンコン摺り卸ろし、米粉、白玉粉を塗り付けて蒸して焼いたもの。
右上:勝栗 甘薯(さつまいも)をクチナシで炊いたもの。
手前:昆布 日本酒を入れた水に漬け二度揚げした。
帰陣は左右のみ替わる。
- ⑧ 台の物
- 丸くして3つを盛るのを儀式の目玉とするこの頃の1つの特徴だった。天の神、太陽、月を示している。
(い).巻スルメ(イカクルクル) 半日干しした烏賊(いか)に葛を皮側に打って巻き藁で縛る。酒、水、溜り醤油で炊く。
(ろ).観世巻玉子焼 100年前に能楽観世流が生まれその印にあやかったもの。海苔を巻いたので後の江戸時代の大奥の方々の大好物として続いた。
(は).肴豆腐 内容は当時の松風という品名と等しいが松風は敗者の風情を示すものでここでは使わない。
反時計回りに、芥子れんこんは肥後の細川氏の子息が病弱だったためが知られている。 中世期の城郭には堀や沼があり、れんこんはかかわりの深い食材だった。
炙りタコ 薄く切って天日干しし片面に白身魚の摺身を張り付け炙ったもの。
奉書小包はイルカのタレ。初代早雲こと伊勢盛時は駿河清水港から水軍を仕立てて西伊豆に攻め入った。そこで漁師の漁獲品を納税や政治の糧にしていた。
水軍として軍師に登用し、城の日常の惣菜に代金を支払って毎日納品させ、船税を免税にしたのもその一つである。その代わり定住を義務付けた。
特徴的なのはイルカを重用したことである。当時西ではイルカを軽視し、蔑視さえしていた。西の漁師は漁獲品と見ないで群れを発見した家族の女性に収穫の権利を与えていて、大名も免税にしていた。
対して伊豆から納めさせて当地の街で喰べる産地として根付いたのである。食品として貴重な蛋白源に捉えたのである。
よく水に晒して血抜きをして溜り醤油・酒・みりん・生姜絞り汁に浸し天日で乾かす。炙って切り出したもの。
蒲鉾 都では角焼蒲鉾のように平らだが東国は竹輪型だったと思われる。葱を加えた。
菜花昆布じめ 色鮮やかに茹でたものを一晩昆布に当てたもの。
- ⑨ 三目
- 左より、小串し(こざし)といい、雉の焼き鳥。魚カステラ。福目(ふくめ)、鯛を焼いて、木槌で叩き水によく晒して酒をたっぷり入れて湯煎して綿状に炒り上げる。
球状に盛った状態をぼんぼりという。
貴賓の贈答品には使われた。
鯛めし、でんぶになる。
- ⑩ 香の物
- 大根とたかな
一人1日五合の飯を食べるので重要な一品だった。
代表的なのが大根の味噌漬。貴菜は20日漬(はつかづけ)。
- ⑪ 芹焼(せりやき)
- 各地の武士に好まれたが、当家もそうであった。芹椀という塗椀があり、青色系の絵付けがしてある。蓋が笠型をしているとか、用途は詳しくは分かっていない。
茂った摘み草だったので、茎部は酒を振って強火で炒りつけた。
薄目の三杯酢に漬してある。
- ⑫ 贈答品
- 西から届く「ごんぎり」という細い鱧を干して15センチ位に切ったもの。
相模と房総との特産品。早鮓。玄米で漬けて一ヶ月で食べられる。特有の臭みが無くふっくら弾けて旨い。当時は最短の期間だった。
- ㊉ 外郎
- 丸薬は氏綱の頃(1504年)に来て、菓子はずっと後になって売り出されたという。
北条三代 氏綱の頃
城の武士・市中の日常食を表した。膾(ナマス)類など海産品がならぶ。
1520年頃(永正17年)山口・小田原が栄える。日本史年表より
2代氏綱によって当地の市街化が進んだ。戦国時代に輝いたのは数えるほどしかなく、盛況ぶりを歴史物語も伝えている。
- ① 楚割(スワヤリ)の炊き込み飯
- 手のひらサイズに開いた鯵の干物のことをいう。この名は万葉時代からある。昭和40年代半ばまで漁師らの言葉。
専用の小出刃包丁でさっと開いて、振り塩をして朝日と共に浜で干す。固く干すと光沢がある。炙って、米に笹欠き牛蒡、刻み揚げ、刻み生姜、昆布、調味料で炊く。身をほぐして盛る。
- ② 濃漿(こくしょう)
- これも古くからある。濃醤、濃塩、穀焦、黒焦など字がいろいろある。味噌や調味の変化にあるようだ。ここではよく見られる字を使った。
ナマス材のアラを水、酒、昆布でじっくり炊く。さらに馴染んだら味噌を2色加えて火が回ったら椀に盛って好みの香辛料を振ってすすめる。
- ③ ナマスのいろいろ
- このころナマス人気で沸いたであろう。川魚から海産へ舵を切って、特にこの頃に及んで鯛網が西からはいってきたのである。
マグロ、イナダ、ブリはあるのに、このことは後段で述べることにする。
左から鯛小田原松皮作り。表示は昭和40年代の業界誌にあった。皮付きで熱湯を掛けすぐに冷やす。順に目鯛は塩引3日。薄く振り塩をして3日置くということ。大羽(おおば:おおきい)うるめ鰯は塩引2日。鯵は一夜で盛った。
- ④ へしこ
- ヒラソウダを切身にして、塩と米糠で漬け込んだもの。北陸地方が有名である。冬季に海が荒れてしけが長く続くので重みがあるが、当地は西風さえ凌げばいいのでせいぜい1週間程度。したがって調味も糠に酒を霧吹きで含ませるぐらいの気軽なものである。余分な糠をはたき炙ったもの。
- ⑤ さんが風煎りつけ煮
- 房州のさんがは味噌が入るが、当地では山芋すりおろしである。ここでは大和芋である。煎りつけとは鍋に薄く油を敷き熱し、押し付けながら上下火を通す方法である。「料理物語」ではいり焼きとともによく出てくる。油を張って揚げ切ることは、油が貴重なのと脂肪を好まなかったからであった。現在はこのさんが生地をパン粉で揚げると上等な一品に化す。
- ⑥ 香の物
- 高菜3.5% 塩漬けと浅漬け沢庵細切り。
一日米5合なので香の物の比重は高い。
- ⑦ 煎酒
- 日本酒にかつお削り節、梅干、たまり醤油を加え2割に煮詰めて布漉しする。にごり酒主流の中で澄み酒をどう手当てしたか研究課題もある。
- ⑧ ぬた衣
- 酒粕を酢で柔らかくし、水飴と溶き辛子で調味する。
- ⑨ 妻もの
- 白髪葱と栗生姜。古くは栗を指したが生姜でも同じに扱った。この歴史は古くそして明治時代まで続いた。魚を生で食べるのが好きであることであろうか。
- ⑩ ぬた葱
- 関東で唯一青葱を食べる土地柄である。小田原葱というのがあり、1尺止まりで根元辺りが縦縞に赤みを帯びている。長く伸びると地質から硬くなるので細葱感覚で扱う。早雲が京都出身であったからであろう。これは九条葱を茹でたもの。
- ⑪ さざえ浜煮
- これぞ「料理物語」が示す「まろうづくり」の典型であろう。一般的にはさざえ煮は下ごしらえを下茹でしてさらに一晩水に晒してから煮る。それをいきなり水を注いで酒とたまり醤油と生姜は丸ごと皮ごと大出刃包丁の腹で叩いて潰して火を入れる。沸いたら浮いた灰汁を取り弱火にしばしして止める。そのまま冷ます。新鮮だから磯の香りがすっきりしてそれが旨さになる。だからそうです丸作りです。
- ⑫ 熟(な)しもの
-
(1)鯖
なしものとは塩辛のこと。今ではイカしか出回っていないが当時は種類が沢山あった。季節柄抱卵していたのを煎りつけて天盛りした。卵はどんなものでも好んだ。
(2)いか
糀仕込み。美濃屋吉兵衛が開発し有名にしたという。
鯛網のこと
上方の魚の味覚は筆頭は鯛で関東は鮪である。次にあげれば鯵、イナダ、鰹あたりか。早雲こと伊勢盛時が駿河清水港から水軍を仕立てて西伊豆に攻め入った時から、漁業史に鯛の名はない。獲れたものは食べたであろうが西の人が賞味するようなことはなかったのである。
氏綱の頃には料理は鎌倉時代に簡素で栄養価の高いものから、都市へと繁栄し公家や将軍との交流が頻繁になると京や上方の良い様式を取り入れなければならなくなった。そこで鯛網を西から150年も経ってから入れたのである。
元々鯛には味覚の覚えがないゆえ、やむない調理法として価値を最大限表すべく皮付きで湯引きして盛ったのである。
京の目からは何で湯を掛けてとなるが、活きが良いからびくともしないという自慢もある。これで鯛は確かに美しい慶事の魚ですといわせて定着させたのである。以来、重要な祝い事は鯛一匹を丸ごと焼いて折詰にと、江戸時代半ば過ぎには江戸城では一度に千匹を型をそろえてというまでになっていく。
なので、当地では鯛は舌でなく目である。
椀飯(鎌倉時代)
令和7年10月27日
鎌倉時代はどんな食事だったのだろうか?
頼朝があえて都から離れたことによって海産の魚類を主材料に据えた。
そして公家たちより一段下がった武士や職人にふるまわれていたいわゆる丼物、てんやもんをそのまま引き継いだ。それも正式膳として丼めしに幾つかの具をのせたもの(ちらし丼)に汁や一品を付けるだけでよいと決めたのである。これを鎌倉椀飯(おうばん)という。
それゆえ漁業に力を入れ由比ヶ浜を釣船の漁場とし小坪(現逗子市)に漁師を住まわせた。
それまで漁師は半農であったり片手間だったのが、魚町という地名ができるほど専業として拡大していった。 それだけ町の発展が旺盛であった。
一方、当地小田原は早川河口が風祭集落まで入り込んでいて、渡し船と泊り客はいたが、むしろ東部の万里子河(現酒匂川)の東岸に公設の渡し場と宿の集落があった。今の鴨宮で八木下といった。
早川から万里子川の浜には何もなかった。ただ現在の南町、本町、浜町、東町のどの辺りを指すのか海女の集落があるとだけ記してある。採る漁業だった。
出典:小田原地方の漁業史 本多康宏著

- 染飯
- 梔子(くちなし)で炊いたご飯 五目ちらし風に
-
- 蒲鉾
- 都では角焼蒲鉾のように平らだが東国は竹輪型だったと思われる。葱を加えた。
- そぼろ
- カマスを茹でてほぐして酒で炒ったもの。
- 卵焼き
- ここでは生身、南瓜を加えてある。
- 四方竹
- この時期のもの
- 椎茸
- 伊豆の名産品
- 集汁
- 汁は味噌汁の上澄みを用いる煮貫(にぬき)
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- 鹿尾菜豆腐
- ヒジキを入れた豆腐
- 滑茸
- なめこ茸
- 細打葱
- 薬味にさらしネギ
- 膾
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-
だいこん
蘿蔔笹欠
- 当時の大根は指の太さくらいだった。ささがけにして用いた。
- 釣魚無塩
- 無塩は生魚のこと。保存のため塩漬けが一般的だったが、生で食べられるほど鮮度がいい。
-
ごさいに
五斎煮
-
- 銀ダラ
- 一旦焼いてたまり醤油とだし汁で煮る。斎は「とき」を表す。いつでも食べられるそう菜ということ。
- 雀皿
- 焼柿
- 東国人は大根はことの他重要品であった。これから江戸時代初めの練馬大根まですさまじい品種改良を遂げている。
- この献立は正月や儀式用としている。
- 南瓜は存在が確かでないが、再現でなく復興(ルネサンス)として取り組んでいます。
歴史料理 「大森氏の頃」
令和7年11月25日
大森氏は平安時代末期に足柄峠ごえの関所へ国司として着任していた。
頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、道路事情に詳しいことで頼りにされ引き継いだ。
その後、上杉禅秀の乱(1416)で神奈川県西部を領地として得た。
したがって、箱根外輪山に沿って築いた史跡が多い。
参考にしたのは、美濃路の生活習慣、山里信仰を基本にした献立である。

- 三宝 狗賓餅
- 豆乳のくず餅、黄名粉まぶし。本来は山林に置く
- トリ飯
- 精米の鶏肉の炊き込み
- 山かげ汁
- 雉肉に山芋が入ると付く品名。山芋から腸部が入ると青がちという品名になる
- 羽盛り
- 台皿は伊豆欅
- 打身 雉
- あしらい、白髪葱、九年母もどきもどき、山葵 煎酒
- 差身 塩鯖
- 木皿
- 当時の酒の肴
- ヤキトリ
- 山芋磯辺巻
- 炒りつけ焼き
- 田楽豆腐
- 茹で小芋
- 雀皿 麩巻き菓子
- 小豆あんを生麩で包んで蒸したもの。室町時代、麩は千種を超える人気品
打身(うちみ)は内陸の食材をいう。差身(さしみ)は海魚を指すが諸説あります。
大名箱膳(五月)3,950円 / 税込
5月3、4日限定 午前11時30分より

予約なしでも可
手前右下より左回り
-
葛葉
寿司
- 2つ がり生姜 山独活
きんぴら
- 煮染
- アジつみれと野菜
-
鰆
常盤
焼き
- あしらい 飴煮金柑
-
平
盛り
- 空豆の塔 都チーズ 蒸し外郎 果実
- 汁 どぶじる
- 酒粕汁のうわ澄み
箱膳
一客膳の食事用具
東国では鎌倉時代より庶民も会食をするようになった。
一族が一同に集って本家の家長が上座につき個々の膳に付く。
膳は箱形で引き出し付や二の膳が組み込まれているものもある。
催事献立につき無くなり次第終了となります。
酒場の肴
I・Y氏主宰「日本酒を囲む会」


I・Y氏は各地へ旅をしては土地の酒造所を訪ねている。
今回は3回目の催しで、HPに掲載しようということになった。
手持ちの分も含めて16銘柄を愛でようということです。 本来料理屋は、料理が主で酒は並びか添えるものというものです。
それを、酒を主役にそのお囃子役に料理をと。つまり酒場の肴です。
あえて言わせていただきますが、料理屋では日本酒は銚子で2本くらい。 会席という一汁三菜(吸い椀、生もの、焼物、煮物)でお酒に合う調理をしています。
10人の席だと計2升分です。上戸と下戸がいて、これで十分と考えられます。
と、いうことですが余りの熱心さに折れまして、氏の要求に合った日本酒に合う肴をそろえました。 そこで、特例申し込みとして平日の静かに晴れた昼下がりに催されました。
表題のように、お酒のための肴ですから、順不同、濃縮された珍味風に仕立ててあります。
真ん中・青い皿
【握り鮨】
鮪は醤油のジュレをのせ、鯵は梅酢でしめて握ったのをバッテラ用白板昆布で包んであります。 玉子は魚の摺り身を入れてある。
串刺しは大根のハリハリ。相模原の郷土食で、干し大根を柚子と唐辛子を芯にして巻き、三杯酢に漬けてあります。
柚子釜は糀入りイカの塩辛。当地の老舗美濃屋が京都から持ち込んだ作り方。
下に来て、時計回りに
【豆乳と酒粕のグラタン風】
大豆からこしらえた豆乳と丹沢山製の酒粕を合わせたもの。 海老、牡蠣、鱈、じゃが芋、茸を具にした焼き物。
見た目は牛乳仕立てに見えますが、口にすると和風そのものです。 朝絞った豆乳なので、味わいが酒にばっちりです。
【ひょうたん皿】
ミートローフで三国清三シェフの方法を用いてあります。
フランス流とかハンバーグのタネにサイコロチーズを混ぜ込み、全体を生ハムできっちり包んだもの。濃厚そのものです。
スタッフドエッグ(玉子の詰めもの)
茹でた卵黄はマヨネーズで和えイクラを盛った。
レバーペーストパンばさみ
【木皿】
アルミホイル敷き
斜面坂筍の白味噌炙り
【菓子】
パイダネはリンゴを少なめに柚子ジャムをたっぷりにした。
練り羊羹
地物いちご
【しのぎそば】
【お煮しめ 野菜のみ】
【寒しじみ汁】
献立の方針は他銘柄に見合うため濃淡をそろえました。
当日はI・Y氏が懇意にしている当地東方国府津在住の陶芸家 鈴木三成氏をお誘いしていた。
参加者に作品のぐい呑みのプレゼントを賜りました。ありがたいことです。
先生は88歳で先ごろ展示会を開催されその時のグラフ集をいただきました。
なお、用いた酒器は全て先生の作品だけで、I・Y氏のコレクションでした。
青い皿は鈴木三成先生の若い頃の作品です。
日本料理の会席献立を習得するためには上方の技法を基本に学びます。 そうすると、酒もこの料理を基本に作られた伏見か灘になります。
細かくいうと京の料理は伏見で、大阪の料理には灘ということです。 こういう訳で昭和の時代、当地の酒屋も酒は下る酒に限るといわれたものです。
酒のみ下ってよかったのです。当店もこれがこびりついている類です。
また、醸造酒法であるワインを女性が1合、男性が2合という地中海食が生活習慣病になりにくい基本形からという理屈からも最も近いところです。
日本酒も食中の飲み物として馴染みます。
今の料理は油が多く、乳製品も多くなっています。
それに伴って、伏見・灘ばなれにも良い地方のが見られるようです。I・Y氏はそれを追っているのでしょう。
昭和初期から中期の日々
三淵邸 甘柑荘ご見学によせて(小田原市板橋)

R6年9月29日
甘柑荘を訪れた御一行様から昼食としてご依頼いただいた。
テーマは昭和にしました。
当時、小田原の板橋界隈は明治中期にいわゆる洋食が一つのブームになった。
文明の幕明けとともに箱根宮ノ下に富士屋ホテルが開業したことと、日光金谷ホテルが関東のリゾート観光をリードした。加えて「食道楽」を発表した村井弦斎のブームもそこに重なった。
当店のお客さんの中に、祖父が栃木県から板橋の隣の山角町(現・小田原市南町4丁目)でレストランを開いた方がいて、当時のメニューをいただいていた。
村井弦斎の洋食はお箸でいただく調理になっていると解釈できる。
- 〇 弦斎マヨネーズは固ゆで玉子を加えて、コクを出し箸が効く(進む)というものである。
- 〇 昭和カツレツは、昭和30年初めまで油を好まないという歴史がある。その後、チーズが入ってきて変わるのである。油を使わないで脂を薄く敷き、じっくり炙り焼きつける方法である。黒胡椒をしてあり、そのまま・醤油・好みで別にトマトソースを添えた。
- 〇 鯨の竜田揚げは網にのせ血抜きをし、切り分けて玉葱を多く、ニンニクを各おろして加え、醤油、胡椒で軽く調味して、片栗粉をまぶして唐揚げにした。
- 〇 魚白ソースグラタンは、鯛、梭子魚の中落ちを魚ブイヨンにとり白ソースに割り入れて日本酒にあう仕上げとした。カジキマグロとしめじ茸、玉葱スライスを具材とし、上に粉チーズを軽く振り上火焼きにした。
- 〇 小田原しんじょは、かまぼこの擂り身に山芋・玉子白身・浮粉・酒・昆布出汁で調整し、ふんわりした生地にして蒸す。松茸は切って盛る。吸い地は本枯れ二度の血合いのない鰹節で取ったもの。
- 〇 葛葉鮨は梭子魚を梅酢でしめて握り、葛葉で包んで一晩押しをする。一方は鮭の握りとした。
- 〇 炙り生姜は新生姜に味噌をぬり、さっと焼き色を付ける。
- 〇 酒匂川の天然鮎塩辛は、同鮎を6月に強塩してのち塩抜きし、塩糀に漬けて夏を越したもの。北大路魯山人が関東では夏の土用前までは酒匂川の鮎が一番と言っていた。
- 〇 魚カステラは、カステラの生地に魚の摺り身を加えたもの。昭和30年代初頭までは当たり前のものだった。
- 〇 栗茶巾絞りは、茹で栗の身をくり抜き、裏漉しのあと甘味を見てガーゼ布で茶巾に絞る。
- 〇 温州蜜柑は今回のテーマにちなんだ。
今回の幹事さんとは一週間前から事前打ち合わせをし、当日は19名でご来店いただいた。また、当日は到着時間のご連絡をいただきありがとうございました。
中世小田原の郷土料理

R6年4月

食事風景
小田原史談会で「中世小田原の郷土料理について」の話をさせていただく機会に恵まれました。その後、日をあらためて同名の献立での会席のご依頼をいただき多数のご参加をいただきました。
- 〇 半ぺんは、山芋と豆腐で作られていたが、それが小田原に伝わって魚身を加えたものに変ってきた。
- 〇 鎌倉時代に伊豆干し椎茸が銘品として中国に輸出されていた。その帰路の船には色々な品(文化)が積まれていた。
- 〇 三つ葉、山椒は古くから日本に自生していたもの。ナスはインドが原産で正倉院文書によると8世紀中頃には日本に入っていた。
- 〇 鯛を皮付きで湯ぶりするのを小田原松皮作りといった。季節柄、抱き卵を酒煎りしまぶして盛るのを子ごもりといって当時常用された。
- 〇 唐蒸しは、おから・酒粕・黄名粉(きなこ)を合わせて鯛の腹に詰める。奈良時代の高級料理で、今でも金沢(石川県)周辺で祝いの席て振る舞われている。
- 〇 松風は表に芥子の実を振るので松林の砂浜のようで、裏は飾り気が無く「浦寂しい海岸の情景」を表している。干した魚や食材を松風干し。
- 〇 カステラも魚の身を加えた。
- 〇 白仕上りは正月専用にこしらえる。糀で白くつくる。
- 〇 今の普通のきんとんは明治以降から。以前は砂糖を指先大に丸めて包んだものだった。今回は南瓜と黒砂糖を合わせて丸にして長芋で包んだ。砂糖が貴重品だったから。
- 〇 米粉と黒砂糖で作る「ういろう」は、干柿入りが人気品だった。
- 〇 ワラサを味噌漬けにして杉の間伐材の赤身板に挟んで焼く。保存が効いて旅先でいつでも食べられる。室町時代の代表的な一品。
- 〇 家康は当時天下を得ていなかったが、箱根を越えれば同じ土地柄である。獲物は鴨とした。天つゆは昆布出汁品。
- 〇 江戸中期まで醤油が貴重品だったので、そば汁は味噌汁を濾した汁を使っていた「にぬき」。
陽春 汎用会席(6,600円/税込)

R6年4月
キス松風干し
キス昆布じめ水和え
- 〇 煮染め
- 〇 地物 西湘鰤照り焼き
- 〇 天ぷら
- 〇 水菓子
- 〇 キス松風干し
- 〇 刺身
- 〇 おぼろ月吸椀
- 〇 キス昆布じめ水和え
水和えとは簡単な煎酒のこと
- 〇 煮豆3種
- 〇 筍寿司
- 〇 石臼挽き手打ち蕎麦
浅春の会席(6,600円/税込)

R6年3月中頃

真鶴 鰤 鎌倉おろしナマス

豆腐と鮭のパテ 白ソース レモン酢掛け
- 〇 グリーンマヨネーズ アスパラ・空豆
- ◦ イタリアパセリのマヨネーズソース
- 〇 そばがき 汁椀みそ仕立て
- ◦ そばがきは鶏そぼろ入り
- 〇 真鶴 鰤 鎌倉おろしナマス
- ◦ 大根おろしでいただく
- 〇 ロールキャベツ 和風スープ炊き
- 〇 豆腐と鮭のパテ 白ソース レモン酢掛け
- 〇 立場2品
- 立場(つけば)とは産地での調理
- ① 翻車魚 共醤油添え
-
◦ 身と肝は塩で〆て、湯引きする。身はスライス。肝はしっかり湯をして裏ごしし、酒・醤油・味醂と合わせ、仕上げに生姜汁を絞る。
- ② 槍烏賊 浜煮
- ◦ 槍烏賊は墨を取り生姜片を入れて当座煮にする。
- 〇 天麩羅・冷掛けそば
- 〇 水菓子
寒しのび 立春を望む頃(6,600円/税込)

R6年1月中頃
前菜
鯛 出汁のグラタン
- 通し
- カキ豆腐(カキの肝のみを寄せた)
- 前菜
- 時計回り:小袖寿司(アジと鮭)、ばらん舟懐敷、陽向新筍(柚子味噌くら掛け)、合鴨ロース、 大福印元 節分盛り、黄梅花の魚カステラ
- 脇小鉢
- 三色煮豆(黒豆、大豆、金時)
- 吸物椀
- 清汁(うずら鳥のつくね、春菊、口・柚子)
- 料理なます
- 向枕:寒芹と固蕾茶花、なめり茸2種、沖縄もずく
前盛り:たこ、〆鯖、鮪、さわら、海老、ほたて
香草・伊パセリ、ロ・すだち、敷き酢
- 煮しめ
- あじ摘入、里芋、高野豆腐、焼麩、牛蒡、人参、椎茸、つまみ菜
- 焼皿
- 鯛 出汁のグラタン(鯛、しめじ茸)
- 天ぷら
- 自然薯磯辺巻き、海老、いか、鱚、舞茸、天つゆ
- 食事
- 手打ちそば柏南蛮、洗い葱(薬味)、七味
- 後菓子
- りんごの焼き菓子、地産いちご
現在から古を眺める会席(6,600円/税込)

- 箸始
- 胡麻豆腐禅宗仕立
- 饗応籠盛
- くず葉寿司、かんぜ玉子(能の観世模様)、鳥ミンチの松風焼き、酥(そ:日本のチーズ)、 紅葉人参
- 吸椀
- 集汁
- 年賀向けいか塩辛
- 甘鯛室町期杉板炙り
- 料理なます
- (永く続いた宴会の主品)はやと瓜、蕪、もずく、矢柄、鯛、たこ、金目、有頭海老、すだち、香草、敷三杯酢
- 煮しめ
- キスのつみれ(蒲鉾の材料)、八ツ頭、こうや豆腐、こんにゃく、人参、牛蒡、青菜
- 南蛮風油もの
- (衣の厚い天ぷら)海老、カキ、茸、油を切るための天つゆ
- 硯小鉢
- 黒豆とうずら豆煮
- 江戸夜鷹のそば
- 江戸時屋台のぶっかけそば(薬味・白葱、青葱)
- 茶菓子
- 大柿と羊羮
休会のお知らせ
これまで永くやってまいりました研究会形式の献立発表会(歴史サロン例会)をしばし休ませていただき次の機会について考えてみます。
何卒よろしくお願いいたします。
歴史サロン例会 会員募集中
これまで、史料に基づく郷土・歴史会席を発表してまいりました。 これらを、さらにわかりやすく整えて常会とします。
年に5から6回の予定で、10月1日(土)より初めます。
すでに5月3日に、氏康生誕500年「尚武会席」を行いましたが、こつんとまとまりご好評をいただきました。
7月9日にも同じ献立を講談師のグループにもお出ししました。
ご登録いただけると、その都度事前にお知らせします。
第1回は「奈良茶飯」
江戸、明暦の大火の直後に出した奈良茶飯セット(現代の定食)が大ヒットしました。それが今回の原形となります。それを、小田原風にしてお召し上がりいただきました。
第2回は「つばき油の天ぷらの会」
屋台から始まった、そば、すし、などから、なぜ天ぷらだけが現在専門店で敷居が高くなってしましたのかも明かしたいと考えます。
第3回は「尊徳の食事」
元・神奈川県立図書館資料部長 石井敬士氏の話(尊徳はお酒が好きだった)をまじえて、お召し上がりいただきました。
詳しくは「定例会」をご覧ください。