米橋歴史料理会 参加者募集
「氏綱の頃」
城の武士、市中の庶民の日常の食(おそうざい)
会食と歴史解説がセットになっています。
日程
:3月29日(日)12時より
費用
:5,000(税込)
募集人数
:10名程度(同時参加申込み人数は2名まで)
ご予約
:電話のみ 0465-22-4645
当店の簡単なご利用について
重要 :お蕎麦は打ちたてをお出ししていますので、都合により新たに打たなくてはならない場合は約20分ほどお時間をいただいております。何卒ご了承願います。
おすすめ天ざる
:2,350円 1,980円(税込)1月8日より2か月間
目の前で揚げる天ぷら4点(エビ・魚・野菜 / 野菜のみ可) その後、石臼挽きの打ちそばへ続きます。
セイロのみ
:900円(税込)
温かい掛け
:900円(税込)
そばがき
:800円(税込)
100%純粉 鍋がき
地元産 足柄茶を使っております。
酒類のご注文にはそば味噌の御通しが付いています。
一品ものは単品のみでは対応が難しく、伝承会席 でのご検討をお願いします。
当店の感染対策について
当店では引き続き「マスクの着用」「手指消毒」「遮へい板」「強力な換気」「一組(1テーブル)4人または同居家族、2時間を目安」を行っていますのでご来店の際にはご協力をお願いします。特に換気には力を入れています。
三菱電機納入事例
店主より一言
令和3年、おかげさまをもちまして「米橋」は創業50年という大きな節目を迎えることができました。世の中が大きく変化する中、それでも半世紀もの長い間営業を続けてこれたのは、ひとえに長年に渡りご愛顧いただいたお客様の温かいご支援の賜物と感謝しています。
「米橋」は、スタンド天ぷら店として近くのビルの地下8席のお店からスタートし、実直に職人路線を貫いてまいりました。
ここ30年は小田原の歴史を献立に組み込んだ「見立献立」という自慢のお値打ち献立を中心に、1組8名様からのご予約を1週間前のお申し付けで承っております。
多くの料理店が単に魚を一刀に惣菜にこしらえるのを立場(つけば)料理といいますが、当店の「見立献立」は昔あった、今でもあるという文献による綿密な裏付けや伝承による数々を味わいながら、深い知識もいただくことができるものです。
およそ6-8種のコースがあり、相模国小田原城城主の大森氏から明治の近代洋食を広めた村井弦斎までテーマを時代順に取り揃えております。
この献立・物語シリーズは、新たにこしらえては適宜お店の催事として実施しております。 s
案内をご希望の方は、宛先を募っております。
そんな大げさな注文は気がひけるという方には、見立て献立(3,950円/税込)をお勧めします。
旅籠を紐解いた一汁三品です。 お城見学や東海道ハイキングの折にぴったりかと存じます。
より内容濃く仕上げられますので1時間以上前のご予約をお勧めします。
見立て料理(旅籠記 小田原宿より)
旅の方、お酒を召し上がる方に最適です。(3,950円/税込)
汁椀
煮貫という味噌汁の上澄み
料理ナマス
季節の魚介や野菜を下ごしらえして盛り、旨味酢を回し掛けたもの
門前焼
室町時代の代表的な焼物。味噌だれに漬けた魚を杉板に挟んで焼く
煮染
関東炊きで保存に向けて濃い味に仕上げてある
以上が丸盆(小田原北条盆) 食事(天ぷら、冷たいかけ蕎麦)が付きます
小田原北条3代氏康の頃
ある伝統ある大学OB会の幹部交流会でサクッと歴史献立を召し上がりたい旨の注文をいただいた。
幹事さんはいつも贔屓にしていただいている方なので、席の内容とどういう希望なのかは見当がついた。
松花堂箱膳に詰めてサービスを簡略化し、その分説明を増やす。つまり実況中継的にやりましょうと了解を得たわけです。
令和8年1月24日(土)正午より10名、この日の北日本は大寒波で太平洋側は底冷えのする晴天でした。
打ち合わせで地元川西屋酒造店が醸造する無濾過生原酒「隆(りゅう)」と、同じく当地石井醸造「曽我の誉 おり酒」特別初しぼり生にごり酒を用意しました。
その対応に肴の充実を心掛けたのでした。
そもそも日本料理は肴のための品々です。
食事はごはんと汁と香の物でよいのです。
この献立の源流は永禄元年(1557年)3月10日(旧暦)に3代氏康が鎌倉八幡へ足利義氏将軍の復帰を参宮し、その18日後将軍を氏康邸に招いたいわゆる御成りの献立です。
この手の調理は専門の儀式食を扱う有職料理人団がいたようです。
式典専用なので形式や見栄えを前面にするため現地の調理では計れない面もあります。
意味を理解し同じ頃の他の儀式も参考にしながら取り組んでおります。
今から470年前。
まず、有力家臣らが上席の寝殿において式三献という包丁式を伴う儀式を行う。
一献目は、三方に海月・塩・のし鮑13本・梅干・生姜と三枚重ねの杯。
二献目は、包丁式で拵えた鯉・塩・生姜
三献目は、鯉の糸づくりに煎り腹(卵)をからめた子籠りという。
それぞれ3回の冷や酒をいただき団結を誓い合うと一同広間へと下る。
そこでこのような宴席の献立となる。
まず、本膳というのには湯漬けという茶漬けと右手前に蒲鉾がある。
当時の本膳ではどれも蒲鉾はこの位置なので最高位の食べ物であることがわかる。しかしこの形を示す絵柄はなく文字で表示してあるのみ。したがって板なのか竹なのかわかっていないが、一応竹輪にしている。
そもそも蒲鉾の始まりは山奥の山芋と豆腐を練って炙ったもので、それに渓流のイワナを加えて、ウグイからナマズがながく、やがて河口へ下って江戸時代に今の姿になった。
竹だと野外の感覚で、軒の中に入ってくると板の雰囲気かなとみる。
という訳で、あと本膳には塩辛があり当時この種類は豊かだった。鯛でもカマスでもアワビもサザエもほとんどの魚は塩辛にしたといっても過言ではない。
カマスでも水カマスのほうが旨いと記されている。水カマスを塩辛にするとなると莫大な数を必要とする。漁も豊かだったが、よくも手間を掛けた情熱はすばらしい。
つい横道に外れてしまうが、あと鯛を焼いたのとナマスとあるがどういうのだったか。
本膳は7品で二の膳は5品、三の膳が3品である。これを七五三膳という。膳の並びや数は他にもあるが、ほぼこの並びが一般的であった。
二の膳は本膳が集め汁というボリューム感があるのとは対象的に吸い物で三の膳も同じである。お酒の肴なのである。
宴会は初めに食事をしたのち酒席になるので今の会席とは逆である。
番号を切り替え
1.湯漬
大豆を一晩水に浸したのち、出汁・酒・塩 昆布で炊く。
茶碗に盛った天に絹さやを繊切りしておく。
左上の急須のほうじ茶を掛ける。
2.どぶ汁
鯛を柵にして皮側を炙って身の方はさっと熱湯で霜降りする。
一口大に切って3切れ椀に盛る。
葱の白いところを刻んで当り鉢でよく摺ってとろとろにする。
味噌を加えて合わせ出汁でのばし火を加えて椀に注ぐ。
七味を振る。
3.ナマス
膾→鱠へ。 小田原北条の100年間で字が変わるということを示す盛り付け。
左側に雉の身、右に鮭の昆布じめと白髪葱と栗生姜(生姜を繊に打って水に晒したもの)。
底には笹欠き大根ともずくを敷いてある。
香草の下にはハリハリ漬け。大根を薄く切って天日干して芯に糸赤唐辛子と柚子で巻き三杯酢に浸す(相模原台地)
4.煎酒
古い料理書には古酒を用いるといいとある。良質な酒に溜り醤油、かつお節削りと梅干しを加えてホーロー鍋で2割まで煮詰める。
5.鹿煮(しかに)
400年前の有名な料理書に唯一ある。このような場合はたいてい東を指す。本になるのは都中心であるからだ。
目鹿(めじか)のこと。3尺(90cm)までをいう。6尺(180cm)を真黒(まぐろ)といい、以上を紫尾(しび)といった。
相模湾では晩秋になると真黒になって外洋へ出る。
昭和30年の初めまで脂肪は好まなかった。チーズが普及して変わったのである。背身を刺身にして腹身はアラと共に煮付けにした。
鹿煮はそれでここでは玉ねぎを加えて溜り醤油、水飴、酒、繊切り生姜で煮た。
東海道中膝栗毛で岡部から藤枝の道中、ここら辺りはどこも鮪と根深葱の煮付けばかりだと嘆いている。
鰹、鮪は東の食べ物だからこの煮付けは東国食生活の根源みたいなもの。
当地の発祥からやがて江戸日本橋河岸へ行き鮪の角煮となってゆく。
6.なまこ三杯酢
茶で湯ぶり(さっと熱湯に通し直ぐ冷水にとる下処理)した海鼠を3日日干しし、三杯酢に漬ける。切り出して器に盛って新たに三杯酢を掛ける。
7.白塩辛
正月用の烏賊(いか)の塩辛。
唐代初期の道教思想において白は聖なるいろとされた。その文化が日本の白鳳時代に伝わり、現在でもなお雑味を排し清浄を尊ぶ白鳳主義の精神として息づいている。
8.台引きいろいろ
丸くして3つを盛るのを儀式の目玉とするこの頃の1つの特徴だった。天の神、太陽、月を示している。
(い).巻スルメ(イカクルクル) 半日干しした烏賊(いか)に葛を皮側に打って巻き藁で縛る。酒、水、溜り醤油で炊く。
(ろ).観世巻玉子焼 100年前に能楽観世流が生まれその印にあやかったもの。海苔を巻いたので後の江戸時代の大奥の方々の大好物として続いた。
(は).肴豆腐 内容は当時の松風という品名と等しいが松風は敗者の風情を示すものでここでは使わない。
反時計回りに、芥子れんこんは肥後の細川氏の子息が病弱だったためが知られている。
中世期の城郭には堀や沼があり、れんこんはかかわりの深い食材だった。
炙りタコ 薄く切って天日干しし片面に白身魚の摺身を張り付け炙ったもの。
奉書小包はイルカのタレ。初代早雲こと伊勢盛時は駿河清水港から水軍を仕立てて西伊豆に攻め入った。そこで漁師の漁獲品を納税や政治の糧にしていた。
水軍として軍師に登用し、城の日常の惣菜に代金を支払って毎日納品させ、船税を免税にしたのもその一つである。その代わり定住を義務付けた。
特徴的なのはイルカを重用したことである。当時西ではイルカを軽視し、蔑視さえしていた。西の漁師は漁獲品と見ないで群れを発見した家族の女性に収穫の権利を与えていて、大名も免税にしていた。
対して伊豆から納めさせて当地の街で喰べる産地として根付いたのである。食品として貴重な蛋白源に捉えたのである。
よく水に晒して血抜きをして溜り醤油・酒・みりん・生姜絞り汁に浸し天日で乾かす。炙って切り出したもの。
蒲鉾 都では角焼蒲鉾のように平らだが東国は竹輪型だったと思われる。葱を加えた。
菜花昆布じめ 色鮮やかに茹でたものを一晩昆布に当てたもの。
9.焼き物三種
(い).返し焼き 一旦煮た魚を炙ったもの。鎌倉時代は魚を焼いてから煮ていた。五斎煮。氏康では京から一流品の調味料が入手できる。その上魚は鮮度が抜群。さっそく調味したのがよいのである。
(ろ).魚カステラ 玉子焼が高級品でそれに鯛などの白身魚の摺身を加えてある。2枚の鍋を上下に合わせ上と下に炭火を当てる。オーブンである。
(は).豆つみれ焼き 丸めるか切り出して焼鳥と同じ手法。
10.香の物
芥子菜浅漬
11.贈答品
(い).ごんぎり 西のもの。細い鱧(はも)を乾物にして削りものとした。鉛筆のように骨ごと削る。近年の温暖化の前まで伊勢湾沖までが産地だった。
(ろ).早鮓 相模と暴走のみの玄米に漬けることで臭みはなく飯まで捨てずに食べられる。
食べ頃は1ヶ月から1ヶ月半が鰯の身がぷっくり膨らみぽんとほぐれる食感がたまらない。
鰯は大羽鰯と呼ぶ大ぶりを用いる。頭と尾と腹を除いて塩水で一晩浸す。灰汁がぬけて落ち着く。
強塩で3日しめる。
適度に塩抜きして桶に固めに炊いた玄米飯に薄く塩を振って敷き、鰯・糀・笹の葉か竹の皮をおく。これを繰り返し重ねていく。
最後に日本酒を振って蓋を置き重石をのせる。注意点は隙間を作らないこと。
仕上がりは水が揚がってきて薄い白い膜が浮かべば目処である。発酵したのである。
椀飯(鎌倉時代)
令和7年10月27日
鎌倉時代はどんな食事だったのだろうか?
頼朝があえて都から離れたことによって海産の魚類を主材料に据えた。
そして公家たちより一段下がった武士や職人にふるまわれていたいわゆる丼物、てんやもんをそのまま引き継いだ。それも正式膳として丼めしに幾つかの具をのせたもの(ちらし丼)に汁や一品を付けるだけでよいと決めたのである。これを鎌倉椀飯(おうばん)という。
それゆえ漁業に力を入れ由比ヶ浜を釣船の漁場とし小坪(現逗子市)に漁師を住まわせた。
それまで漁師は半農であったり片手間だったのが、魚町という地名ができるほど専業として拡大していった。 それだけ町の発展が旺盛であった。
一方、当地小田原は早川河口が風祭集落まで入り込んでいて、渡し船と泊り客はいたが、むしろ東部の万里子河(現酒匂川)の東岸に公設の渡し場と宿の集落があった。今の鴨宮で八木下といった。
早川から万里子川の浜には何もなかった。ただ現在の南町、本町、浜町、東町のどの辺りを指すのか海女の集落があるとだけ記してある。採る漁業だった。
出典:小田原地方の漁業史 本多康宏著
染飯
梔子(くちなし)で炊いたご飯 五目ちらし風に
蒲鉾
都では角焼蒲鉾のように平らだが東国は竹輪型だったと思われる。葱を加えた。
そぼろ
カマスを茹でてほぐして酒で炒ったもの。
卵焼き
ここでは生身、南瓜を加えてある。
四方竹
この時期のもの
椎茸
伊豆の名産品
集汁
汁は味噌汁の上澄みを用いる煮貫(にぬき)
鹿尾菜豆腐
ヒジキを入れた豆腐
滑茸
なめこ茸
細打葱
薬味にさらしネギ
膾
だいこん 蘿蔔笹欠
当時の大根は指の太さくらいだった。ささがけにして用いた。
釣魚無塩
無塩は生魚のこと。保存のため塩漬けが一般的だったが、生で食べられるほど鮮度がいい。
ごさいに 五斎煮
銀ダラ
一旦焼いてたまり醤油とだし汁で煮る。斎は「とき」を表す。いつでも食べられるそう菜ということ。
雀皿
焼柿
東国人は大根はことの他重要品であった。これから江戸時代初めの練馬大根まですさまじい品種改良を遂げている。
この献立は正月や儀式用としている。
南瓜は存在が確かでないが、再現でなく復興(ルネサンス)として取り組んでいます。
歴史料理 「大森氏の頃」
令和7年11月25日
大森氏は平安時代末期に足柄峠ごえの関所へ国司として着任していた。
頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、道路事情に詳しいことで頼りにされ引き継いだ。
その後、上杉禅秀の乱(1416)で神奈川県西部を領地として得た。
したがって、箱根外輪山に沿って築いた史跡が多い。
参考にしたのは、美濃路の生活習慣、山里信仰を基本にした献立である。
三宝 狗賓餅
豆乳のくず餅、黄名粉まぶし。本来は山林に置く
トリ飯
精米の鶏肉の炊き込み
山かげ汁
雉肉に山芋が入ると付く品名。山芋から腸部が入ると青がちという品名になる
羽盛り
台皿は伊豆欅
打身 雉
あしらい、白髪葱、九年母もどきもどき、山葵 煎酒
差身 塩鯖
木皿
当時の酒の肴
ヤキトリ
山芋磯辺巻
炒りつけ焼き
田楽豆腐
茹で小芋
雀皿 麩巻き菓子
小豆あんを生麩で包んで蒸したもの。室町時代、麩は千種を超える人気品
打身(うちみ)は内陸の食材をいう。差身(さしみ)は海魚を指すが諸説あります。
大名箱膳(五月)3,950円 / 税込
5月3、4日限定 午前11時30分より
予約なしでも可
手前右下より左回り
葛葉
(
くずは
)
寿司
2つ がり生姜 山独活うど
きんぴら
煮染
アジつみれと野菜
鰆さわら
常盤ときわ
焼き
あしらい 飴煮金柑
平ばん
盛り
空豆の塔 都チーズ 蒸し外郎 果実
汁 どぶじる
酒粕汁のうわ澄み
箱膳 一客膳の食事用具
東国では鎌倉時代より庶民も会食をするようになった。
一族が一同に集って本家の家長が上座につき個々の膳に付く。
膳は箱形で引き出し付や二の膳が組み込まれているものもある。
催事献立につき無くなり次第終了となります。
酒場の肴
I・Y氏主宰「日本酒を囲む会」
I・Y氏は各地へ旅をしては土地の酒造所を訪ねている。
今回は3回目の催しで、HPに掲載しようということになった。
手持ちの分も含めて16銘柄を愛でようということです。 本来料理屋は、料理が主で酒は並びか添えるものというものです。
それを、酒を主役にそのお囃子役に料理をと。つまり酒場の肴です。
あえて言わせていただきますが、料理屋では日本酒は銚子で2本くらい。 会席という一汁三菜(吸い椀、生もの、焼物、煮物)でお酒に合う調理をしています。
10人の席だと計2升分です。上戸と下戸がいて、これで十分と考えられます。
と、いうことですが余りの熱心さに折れまして、氏の要求に合った日本酒に合う肴をそろえました。 そこで、特例申し込みとして平日の静かに晴れた昼下がりに催されました。
表題のように、お酒のための肴ですから、順不同、濃縮された珍味風に仕立ててあります。
真ん中・青い皿
【握り鮨】
鮪は醤油のジュレをのせ、鯵は梅酢でしめて握ったのをバッテラ用白板昆布で包んであります。 玉子は魚の摺り身を入れてある。
串刺しは大根のハリハリ。相模原の郷土食で、干し大根を柚子と唐辛子を芯にして巻き、三杯酢に漬けてあります。
柚子釜は糀入りイカの塩辛。当地の老舗美濃屋が京都から持ち込んだ作り方。
下に来て、時計回りに
【豆乳と酒粕のグラタン風】
大豆からこしらえた豆乳と丹沢山製の酒粕を合わせたもの。 海老、牡蠣、鱈、じゃが芋、茸を具にした焼き物。
見た目は牛乳仕立てに見えますが、口にすると和風そのものです。 朝絞った豆乳なので、味わいが酒にばっちりです。
【ひょうたん皿】
ミートローフで三国清三シェフの方法を用いてあります。
フランス流とかハンバーグのタネにサイコロチーズを混ぜ込み、全体を生ハムできっちり包んだもの。濃厚そのものです。
スタッフドエッグ(玉子の詰めもの)
茹でた卵黄はマヨネーズで和えイクラを盛った。
レバーペーストパンばさみ
【木皿】
アルミホイル敷き
斜面坂筍の白味噌炙り
【菓子】 パイダネはリンゴを少なめに柚子ジャムをたっぷりにした。 練り羊羹 地物いちご
【しのぎそば】
【お煮しめ 野菜のみ】
【寒しじみ汁】
献立の方針は他銘柄に見合うため濃淡をそろえました。
当日はI・Y氏が懇意にしている当地東方国府津在住の陶芸家 鈴木三成氏をお誘いしていた。
参加者に作品のぐい呑みのプレゼントを賜りました。ありがたいことです。
先生は88歳で先ごろ展示会を開催されその時のグラフ集をいただきました。
なお、用いた酒器は全て先生の作品だけで、I・Y氏のコレクションでした。
青い皿は鈴木三成先生の若い頃の作品です。
日本料理の会席献立を習得するためには上方の技法を基本に学びます。 そうすると、酒もこの料理を基本に作られた伏見か灘になります。
細かくいうと京の料理は伏見で、大阪の料理には灘ということです。 こういう訳で昭和の時代、当地の酒屋も酒は下る酒に限るといわれたものです。
酒のみ下ってよかったのです。当店もこれがこびりついている類です。
また、醸造酒法であるワインを女性が1合、男性が2合という地中海食が生活習慣病になりにくい基本形からという理屈からも最も近いところです。
日本酒も食中の飲み物として馴染みます。
今の料理は油が多く、乳製品も多くなっています。
それに伴って、伏見・灘ばなれにも良い地方のが見られるようです。I・Y氏はそれを追っているのでしょう。
昭和初期から中期の日々
三淵邸 甘柑荘ご見学によせて(小田原市板橋)
R6年9月29日
甘柑荘を訪れた御一行様から昼食としてご依頼いただいた。 テーマは昭和にしました。 当時、小田原の板橋界隈は明治中期にいわゆる洋食が一つのブームになった。
文明の幕明けとともに箱根宮ノ下に富士屋ホテルが開業したことと、日光金谷ホテルが関東のリゾート観光をリードした。加えて「食道楽」を発表した村井弦斎のブームもそこに重なった。
当店のお客さんの中に、祖父が栃木県から板橋の隣の山角町(現・小田原市南町4丁目)でレストランを開いた方がいて、当時のメニューをいただいていた。
村井弦斎の洋食はお箸でいただく調理になっていると解釈できる。
〇 弦斎マヨネーズは固ゆで玉子を加えて、コクを出し箸が効く(進む)というものである。
〇 昭和カツレツは、昭和30年初めまで油を好まないという歴史がある。その後、チーズが入ってきて変わるのである。油を使わないで脂を薄く敷き、じっくり炙り焼きつける方法である。黒胡椒をしてあり、そのまま・醤油・好みで別にトマトソースを添えた。
〇 鯨の竜田揚げは網にのせ血抜きをし、切り分けて玉葱を多く、ニンニクを各おろして加え、醤油、胡椒で軽く調味して、片栗粉をまぶして唐揚げにした。
〇 魚白ソースグラタンは、鯛、梭子魚の中落ちを魚ブイヨンにとり白ソースに割り入れて日本酒にあう仕上げとした。カジキマグロとしめじ茸、玉葱スライスを具材とし、上に粉チーズを軽く振り上火焼きにした。
〇 小田原しんじょは、かまぼこの擂り身に山芋・玉子白身・浮粉・酒・昆布出汁で調整し、ふんわりした生地にして蒸す。松茸は切って盛る。吸い地は本枯れ二度の血合いのない鰹節で取ったもの。
〇 葛葉鮨は梭子魚を梅酢でしめて握り、葛葉で包んで一晩押しをする。一方は鮭の握りとした。
〇 炙り生姜は新生姜に味噌をぬり、さっと焼き色を付ける。
〇 酒匂川の天然鮎塩辛は、同鮎を6月に強塩してのち塩抜きし、塩糀に漬けて夏を越したもの。北大路魯山人が関東では夏の土用前までは酒匂川の鮎が一番と言っていた。
〇 魚カステラは、カステラの生地に魚の摺り身を加えたもの。昭和30年代初頭までは当たり前のものだった。
〇 栗茶巾絞りは、茹で栗の身をくり抜き、裏漉しのあと甘味を見てガーゼ布で茶巾に絞る。
〇 温州蜜柑は今回のテーマにちなんだ。
今回の幹事さんとは一週間前から事前打ち合わせをし、当日は19名でご来店いただいた。また、当日は到着時間のご連絡をいただきありがとうございました。
中世小田原の郷土料理
R6年4月
食事風景
小田原史談会で「中世小田原の郷土料理について」の話をさせていただく機会に恵まれました。その後、日をあらためて同名の献立での会席のご依頼をいただき多数のご参加をいただきました。
〇 半ぺんは、山芋と豆腐で作られていたが、それが小田原に伝わって魚身を加えたものに変ってきた。
〇 鎌倉時代に伊豆干し椎茸が銘品として中国に輸出されていた。その帰路の船には色々な品(文化)が積まれていた。
〇 三つ葉、山椒は古くから日本に自生していたもの。ナスはインドが原産で正倉院文書によると8世紀中頃には日本に入っていた。
〇 鯛を皮付きで湯ぶりするのを小田原松皮作りといった。季節柄、抱き卵を酒煎りしまぶして盛るのを子ごもりといって当時常用された。
〇 唐蒸しは、おから・酒粕・黄名粉(きなこ)を合わせて鯛の腹に詰める。奈良時代の高級料理で、今でも金沢(石川県)周辺で祝いの席て振る舞われている。
〇 松風は表に芥子の実を振るので松林の砂浜のようで、裏は飾り気が無く「浦寂しい海岸の情景」を表している。干した魚や食材を松風干し。
〇 カステラも魚の身を加えた。
〇 白仕上りは正月専用にこしらえる。糀で白くつくる。
〇 今の普通のきんとんは明治以降から。以前は砂糖を指先大に丸めて包んだものだった。今回は南瓜と黒砂糖を合わせて丸にして長芋で包んだ。砂糖が貴重品だったから。
〇 米粉と黒砂糖で作る「ういろう」は、干柿入りが人気品だった。
〇 ワラサを味噌漬けにして杉の間伐材の赤身板に挟んで焼く。保存が効いて旅先でいつでも食べられる。室町時代の代表的な一品。
〇 家康は当時天下を得ていなかったが、箱根を越えれば同じ土地柄である。獲物は鴨とした。天つゆは昆布出汁品。
〇 江戸中期まで醤油が貴重品だったので、そば汁は味噌汁を濾した汁を使っていた「にぬき」。
陽春 汎用会席(6,600円/税込)
R6年4月
キス松風干し
キス昆布じめ水和え
〇 煮染め
〇 地物 西湘鰤照り焼き
〇 天ぷら
〇 水菓子
〇 キス松風干し
〇 刺身
〇 おぼろ月吸椀
〇 キス昆布じめ水和え 水和えとは簡単な煎酒のこと
〇 煮豆3種
〇 筍寿司
〇 石臼挽き手打ち蕎麦
浅春の会席(6,600円/税込)
R6年3月中頃
真鶴 鰤 鎌倉おろしナマス
豆腐と鮭のパテ 白ソース レモン酢掛け
〇 グリーンマヨネーズ アスパラ・空豆
◦ イタリアパセリのマヨネーズソース
〇 そばがき 汁椀みそ仕立て
◦ そばがきは鶏そぼろ入り
〇 真鶴 鰤 鎌倉おろしナマス
◦ 大根おろしでいただく
〇 ロールキャベツ 和風スープ炊き
〇 豆腐と鮭のパテ 白ソース レモン酢掛け
〇 立場2品
立場(つけば)とは産地での調理
① 翻車魚 共醤油添え
◦ 身と肝は塩で〆て、湯引きする。身はスライス。肝はしっかり湯をして裏ごしし、酒・醤油・味醂と合わせ、仕上げに生姜汁を絞る。
② 槍烏賊 浜煮
◦ 槍烏賊は墨を取り生姜片を入れて当座煮にする。
〇 天麩羅・冷掛けそば
〇 水菓子
寒しのび 立春を望む頃(6,600円/税込)
R6年1月中頃
前菜
鯛 出汁のグラタン
通し
カキ豆腐(カキの肝のみを寄せた)
前菜
時計回り:小袖寿司(アジと鮭)、ばらん舟懐敷、陽向新筍(柚子味噌くら掛け)、合鴨ロース、 大福印元 節分盛り、黄梅花の魚カステラ
脇小鉢
三色煮豆(黒豆、大豆、金時)
吸物椀
清汁(うずら鳥のつくね、春菊、口・柚子)
料理なます
向枕:寒芹と固蕾茶花、なめり茸2種、沖縄もずく
前盛り:たこ、〆鯖、鮪、さわら、海老、ほたて
香草・伊パセリ、ロ・すだち、敷き酢
煮しめ
あじ摘入、里芋、高野豆腐、焼麩、牛蒡、人参、椎茸、つまみ菜
焼皿
鯛 出汁のグラタン(鯛、しめじ茸)
天ぷら
自然薯磯辺巻き、海老、いか、鱚、舞茸、天つゆ
食事
手打ちそば柏南蛮、洗い葱(薬味)、七味
後菓子
りんごの焼き菓子、地産いちご
現在から古を眺める会席(6,600円/税込)
箸始
胡麻豆腐禅宗仕立
饗応籠盛
くず葉寿司、かんぜ玉子(能の観世模様)、鳥ミンチの松風焼き、酥(そ:日本のチーズ)、 紅葉人参
吸椀
集汁
年賀向けいか塩辛
甘鯛室町期杉板炙り
料理なます
(永く続いた宴会の主品)はやと瓜、蕪、もずく、矢柄、鯛、たこ、金目、有頭海老、すだち、香草、敷三杯酢
煮しめ
キスのつみれ(蒲鉾の材料)、八ツ頭、こうや豆腐、こんにゃく、人参、牛蒡、青菜
南蛮風油もの
(衣の厚い天ぷら)海老、カキ、茸、油を切るための天つゆ
硯小鉢
黒豆とうずら豆煮
江戸夜鷹のそば
江戸時屋台のぶっかけそば(薬味・白葱、青葱)
茶菓子
大柿と羊羮
近隣にご宿泊の方への定食
お仕事等で宿泊施設にご滞在の方に定食をご用意しています。
3,000円(税込)お一人様から可
歴史をたべる
伝承会席
:3,950円(税込) / お一人様から
汁(旅籠の汁椀)・ナマス類・煮物・焼物・油物・ぶっかけそば・後菓子を基にしております。
ご来店の30分前にでもご予約をいただけると、いっそう内容の濃い仕上げができますので、ぜひ事前のご予約をお願いします。
休会のお知らせ
これまで永くやってまいりました研究会形式の献立発表会(歴史サロン例会)をしばし休ませていただき次の機会について考えてみます。
何卒よろしくお願いいたします。
歴史サロン例会 会員募集中
これまで、史料に基づく郷土・歴史会席を発表してまいりました。 これらを、さらにわかりやすく整えて常会とします。
年に5から6回の予定で、10月1日(土)より初めます。
すでに5月3日に、氏康生誕500年「尚武会席」を行いましたが、こつんとまとまりご好評をいただきました。
7月9日にも同じ献立を講談師のグループにもお出ししました。
ご登録いただけると、その都度事前にお知らせします。
第1回は「奈良茶飯」
江戸、明暦の大火の直後に出した奈良茶飯セット(現代の定食)が大ヒットしました。それが今回の原形となります。それを、小田原風にしてお召し上がりいただきました。
第2回は「つばき油の天ぷらの会」
屋台から始まった、そば、すし、などから、なぜ天ぷらだけが現在専門店で敷居が高くなってしましたのかも明かしたいと考えます。
第3回は「尊徳の食事」 元・神奈川県立図書館資料部長 石井敬士氏の話(尊徳はお酒が好きだった)をまじえて、お召し上がりいただきました。
詳しくは「定例会」をご覧ください。